September 2023

チリ、アタカマ砂漠の近くにあるビジャセカ村には、ガスも電気も薪も使わず、太陽の熱だけで調理するというサステイナブルなレストランがあります。その名もデリシアス・デル・ソル。日本語で太陽のごちそうという意味で、1999年から営業しています。 お店の入り口には、パンなどを焼くために “オーブン”として使われるガラスの蓋がついた箱が並んでいます。また衛星放送受信アンテナのような調理器具もあります。この箱にお肉を入れて太陽の下に置いておくと、4時間でお肉はフォークで切れるくらいジューシーで柔らかくなります。同じ箱で、お米なら40分で炊き上がり、パンなら1時間で焼けます。この地方ではウサギやヤギ、鶏肉、豚肉も食べますが、これも2時間ほどで完成します。夏場は外の温度が35度、鍋の中が180度に達するので、調理時間が早くなります。 シェフのジュリアさんいわく、このレストランの売りは、すべて地元のオーガニック食材であること。また太陽の熱で調理することで、ゆっくり煮込み、食材の色を保ち、より風味が豊かなるそうです。 2018年には同じ街で「ソーラー・エントレ・コルディリェラ」という店をオープンしました。この地域の昔ながらレシピを観光客に提供しており、祖父母の手料理のような味を大切にしています。 〜どのように始まったか〜 約30年前、チリ大学の専門家たちが、この地域は太陽エネルギーをうまく活用すれば貧困問題解決に繋がると考え、ビジャセカ村を訪れました。当時、この辺りで暮らす家庭の大半が農業で生計を立てており、とても貧しかったです。 アタカマは地球上で最も日射量が多く、アメリカ南西部のモハベ砂漠よりも平均して30%も高いと言われています。専門家たちは「これさえあれば貧困をなくし、伝統的な薪ストーブを使うために、わずかな木を伐採することなく調理できる」と、住民たちに調理器具と衛星放送アンテナの作り方を教えました。 最初の数年間は試行錯誤しながら、それぞれの料理の調理時間を学びました。住人たちは、この新しい調理法で生活できると気づき、日常生活に取り入れるようになりました。女性たちはエンパナーダ(具入りパン)を作って、売り始めました。次第に売りに出せる食べ物の量や種類が増え、レストランを開くことになりました。 そして1999年、デリシアス・デル・ソルがオープンします。お客さんが24人入れる程度のスペースでした。ソーラーで全て調理するキッチン(電化製品、換気扇などもソーラーを使用)があるレストランはチリで初めてでした。現在ではスペースも広くなり、150人まで入るようになりました。この地域とチリ北部では同じようなレストランがあちらこちらオープンしました。 30年前、ビジャセカ村の小さな農家数軒から始まったことが、今ではチリ北部全域に広がりました。いつか食べに行ってみたいですね! ビジャセカ村までのアクセス:首都サンティアゴから飛行機でラ・セレナまで1時間、そこから車で1時間10分。 参考記事: https://www.uol.com.br/nossa/noticias/redacao/2023/09/11/nem-gas-nem-lenha-restaurante-no-chile-prepara-a-comida-com-calor-do-sol.html https://oespecialista.com.br/cozinhar-com-o-calor-do-sol-e-alternativa-sustentavel-no-chile/ https://www.elmostrador.cl/revista-jengibre/2023/01/27/la-cocina-familiar-que-transformo-al-pueblo-de-villaseca-en-un-simbolo-mundial-de-la-gastronomia-hecha-con-energia-solar/ https://www.facebook.com/profile.php?id=100063815083390 #南米 #チリ #アタカマ #サステイナブル #レストラン #太陽エネルギー ...

ミナス・ジェラエス州の写真家、ジョアン・メンデス(72)とアフォンソ・ピメンタ(69)は、50年前から州都にあるセラ貧民街に住む人たちのポートレートや記念写真を撮影してきました。今年PIPA ONLINE賞に選ばれ、ブラジル全国で視覚芸術において最も優れたアーティストとして表彰されました。 60年代半ば、ジョアンとアフォンソはセラ貧民街に住んでいました。ジョアンは16歳の時にプロとして写真を撮り始め、アフォンソは13歳の時にジョアンのお母さんと知り合います。お母さんが弟子としてどうか、と紹介したことがきっかけで、二人は出会いました。アフォンソはジョアンの撮影した写真に感化されて、写真を始めることにしました。アフォンソは学校の友達から最初のカメラを買い取り、それ以来ずっと写真を続けています。 60年代後半、セラ貧民街では黒人文化のパーティー Baile Blackが盛んになり、参加者たちを撮影するために、アフォンソはパーティーに招待されました。現像した写真を渡すために、みんなの家をまわっていました。そうしているうちに彼らの家の中にも招待され、家族の集合写真やカップル、親子の写真、結婚式や誕生日といった記念日の写真もお願いされるようになりました。 アフォンソは「当時、写真は限られた人のためのものではありませんでした。長い間、私は家族にとって一番大事な瞬間を撮影してきました。洗礼、誕生日、結婚式、家族にとって象徴的な瞬間です」と言います。 2019年、アーティストのギリェルメ・クーニャが「RETRATISTAS DO MORRO」というプロジェクトを立ち上げます。ジョアンとアフォンソが撮影した10万点以上の写真を復元し、デジタル化しました。 「世間に無視されてきた写真です。ブラジルの歴史を見ても、こうした場所(貧民街)の歴史を語るプロジェクトはほとんどありません。住民と写真家は、彼ら自身の物語の主人公なのです」とギリェルメは語ります。 2人のコレクションは計25万点にも上ります。 二人の写真は現在Sesc São Paulo(Pinheiros)で11月20日まで展示されています。機会があれば、ぜひ足を運んでみてください! 参考記事: https://g1.globo.com/mg/minas-gerais/noticia/2023/08/27/retratistas-do-morro-conheca-os-fotografos-mineiros-que-conquistaram-premio-registrando-moradores-de-favela.ghtml https://thesummerhunter.com/porque-amamos-os-retratistas-do-morro/ https://g1.globo.com/mg/minas-gerais/noticia/2019/08/19/dia-mundial-da-fotografia-projeto-restaura-imagens-do-cotidiano-em-favela-de-belo-horizonte.ghtml 写真:  Afonso Pimenta, João Mendes #南米 #ブラジル #アーティスト #写真家 #スラム #貧民街 ...